タイトル:憧れの大リーガーたち
著者名:ロジャー・エンジェル/訳者:村上博基
出版社:集英社(集英社文庫)
価格:¥762(税込価格\800)
ISBN:4−08−760335−0 C0197
◆70年代ベースボールの風景◆
雑誌ニューヨーカーで折に触れて書かれたベースボールコラムをまとめた1冊。
原書名はFIVE SEASONS。
著者は掲載元であるニューヨーカー編集者で、本書以外にもベースボールコラムを
何冊も発表しているかたわら、本来の専門分野は文芸で回文の研究者としても有名。
取り上げられているのは1972年から1976年のシーズン。
ちょうどファイブシーズンである。
この当時の日本プロ野球をみるとジャイアンツ王朝に影が差し始め、覇権はパ・リーグの眠れる古豪
阪急ブレーブス(いうまでもなく現在のオリックスブルーウェーブ)に移り変わった頃。
ジャイアンツという絶対的な強者の力が弱まり、プロ野球全体が大戦国時代を迎えるのだ。
この現象は本書にもあるように、海のむこうメジャーリーグも同様で、それまで最強の名を欲しいまま
にしていたニューヨーク・ヤンキースの低迷、それに替わってニューヨークの盟主となった
ニューヨーク・メッツの躍進。
”荒くれ軍団”オークランド・アスレティックスのワールドシリーズ制覇と、球界の勢力地図が
塗り変わっていく。
新しい力がメジャーリーグに台頭していく様が、ゆったりと流れるように書かれている。
試合の描写も実況調ではなく感情を押さえた筆致で書かれていくのだが、なぜか読んでるこっちが
熱くなってくる。
これは原書で読んでるわけではないので、これは訳者である村上氏の技であろう。
宝島文庫から出版されている「男たちの大リーグ」(著:ディヴィット・ハルバースタム/訳:常盤新平)
は1940年代のアメリカンリーグ、それもボストン・レッドソックスとニューヨーク・ヤンキース
(さらに言えばテッド・ウィリアムスとジョー・ディマジオ)の壮絶なマッチアップを描いた作品だったが、
本書はリーグの別なく物語が進んでいく。
◆気が付いた真実◆
第1章「ボール考現学」で、思わず”あッ!”と声をあげた箇所がある。
それは「ベースボールはボールによって得点しない。」ということである。
これは”ボールゲーム”というチームスポーツのカテゴリーでは非常に珍しい。
サッカー、バスケット、ハンドボール、フットボール.............。
これらのスポーツはボールをゴールにシュートすることや、ボールとともにラインをかけ抜けることで
得点が成立する。そうなのだ!ベースボールで得点を認められるのは、ランナーがホームベース
にタッチ、またはスライディング、それか悠々とホームを駆け抜けた時である。
得点時、ボールはプレイヤーの手によって動かされているか、はるかフェンスの彼方にあるのだ。
どうしてこんな簡単な事に気がつかなかったのか!!!
それよりもこの点について指摘した日本人がいたのかどうか?もしいたなら名乗り出て欲しい。
「ど〜して教えてくれなかったんだよ〜!」といって小1時間問い詰めたい。
この件を読んだのは、東横線の電車内だったが思わず「ウッ!」と唸ってしまった。
読み始めていきなりのことだ。
この時点で「この本は面白いだろうな」という予感がした。
◆来日した男たち◆
本書に出てくるメジャーリーガーには、後に海を渡って日本の「プロ野球」でプレーした選手たちも
顔を出す。デーブジョンソン、アレックス・ミヤーン、ウォルト・ウィリアムス、ロイ・ホワイト.................。
このあたりの選手は、70年代の終わりから80年代初頭にかけて、来日した選手だったが80年代
も終盤に差しかかってから来日した選手もいる。
ビル・マドロック。
1951年生まれで、メジャー生活のスタートは73年テキサス・レンジャースでスタートする。
この時22歳。その後カブス→ジャイアンツ→パイレーツ→ドジャース→タイガースと渡り歩いて、
88年ロッテオリオンズに入団する。
この時37歳。
マドロックはこの1シーズン限りでオリオンズを去る。
解雇通告されたその日、プロ野球史に永遠に『10.19』と語り継がれるであろうダブルヘッダー
第2戦の5回ウラ、近鉄バファローズの高柳からホームランを放つ。
元メジャーリーガーのプライドが打たせた1発だったはずだ。
俊足巧打で鳴らしたパ・リーグの侍、佐々木誠(ホークス→ライオンズ→タイガース)が
デトロイト・タイガースのテストを受験した際、打撃コーチとしてセレクションを行ったのがこの
マドロックだった。
選手としては来日していないが、95年千葉ロッテマリーンズの監督として指揮を執った
ボビー・ヴァレンタインがニューヨーク・メッツの若き2塁手として登場するのも興味深い。
◆栄光の果て◆
本書の第9章「終の別れ」では、71年のシーズンヴォルティモア・オリオールズを下して世界一の座
についた、ピッツバーグ・パイレーツの胴上げ投手スティーブ・ブラスの物語。
シリーズ終了の瞬間を撮った写真の解説から始まる本章は、胴上げ投手の栄光からたった3シーズン
で球界を去った投手を追ったルポである。
優勝した翌年、ブラスは前年と違わぬ活躍を見せた。
優勝こそシンシナティ・レッズに譲ったが、プラスにとっては投手として最も充実したシーズン。
しかし、その翌年から原因不明の「ノーコン病」が彼を襲う。
そこから2シーズン。
もがき苦しんだまま彼は球団からウェーバー公示され、球団をリリースされる。
どうしてこうなったのか?
筆者は謎を解くために本人、元チームメイト、オーナーなどにも周辺取材をして原因の究明にあたる。
メジャーリーグであふれるような栄光に預かる人間がいる一方で、その影からひっそりと退場を余儀
なくされる選手たちが大勢いるのもまた事実なのだ。
ただのベースボール万歳!ではなく、こうした現実にも立ち向かうことが本書を名書たらしめている。
◆最後に◆
本書には、まだまだ紹介しきれないほどの面白い話が満載である。
「スポーツの記録は旅の記録でもある」という言葉通り、筆者もオークランド、ボストン、
ピッツバーグ........と旅をしていく。
「旅」をキーワードに読むことで、秀逸なのは第11章「スカウト稼業」
メジャーのスカウトに密着した同行記で、ここではカリフォルニア・エンジェルスのスカウトとして
現・シアトルマリナーズのGMパット・ギリックの名前が登場する。
今のメジャーしか知らない人にも、かつて伊東一雄氏によってメジャーの扉を開いた人でも楽しめる
良書であり名書である。
中公新書刊「野球は言葉のスポーツ(著:伊東一雄/馬立 勝)」を併せて読めば、面白さ倍増で
あることを蛇足ながら付け加えておく。